地政学も影響―イノベーションとテクノロジーの発展目覚ましい黒海周辺

 addlight journal 編集部

10月29日、株式会社アドライト主催のもと、海外のオープンイノベーションやトレンドをキャッチアップするイベント「Trend Note Camp 19 未知なる黒海周辺スタートアップ~トルコ、アルメニア、ジョージア、ウクライナ~」をFINOLABにて行った。
ゲストスピーカーにJETRO イスタンブール事務所 経済部長(産業調査員)の廣瀬浩三氏を迎え、トルコを中心に黒海周辺のスタートアップ、スタートアップエコシステムについてお話しいただいた。

黒海と言われてどのようなイメージを抱くだろうか。廣瀬氏は黒海周辺になにか明確なイメージを持っている日本人はそう多くなく、ほとんどの人にとってはまさに文字通り「黒く」、よくわからない地域になっているのではないかという。トルコやウクライナ、ジョージアを巡っては、紛争やテロのニュースもあり、なんとなく危ないような気がする、といったイメージを持つ方も少なくないのではないだろうか。

ところが、黒海周辺はビジネスの広がりという意味では、高いポテンシャルを持っている地域でもある。
例えば廣瀬氏が拠点とするイスタンブール。ロンドン、パリ、ベルリンの欧州から、テヘラン、ドバイ、リャドの中東、スーダンなどのアフリカまで各方面へ片道4時間以内というアクセスの良さを持つ。東京で4時間以内となるとソウル、北京、上海、台北あたりが限度だが、イスタンブールからカバーできる範囲としては56ヵ国、総人口にして16億人にもなるという。

JETRO イスタンブール事務所 経済部長(産業調査員)・廣瀬浩三氏

JETRO イスタンブール事務所 経済部長(産業調査員)・廣瀬浩三氏

イノベーション加速の地・トルコ

そんなアクセスの良さを活かして開催されているトルコのスタートアップイベント“Startup Istanbul”には、140ヵ国22,000社からの応募があるというトルコ国内よりもできるだけ海外からの参加チームを増やそうとしているだけあり、最近では、入賞者はアルジェリア、パレスチナ、インドネシア、スウェーデン、レバノンなど様々な地域から選出されているという。

10年ほど前までトルコは欧米プロダクトのトルコ版ばかりだと揶揄されていたが、現在ではEコマースやモビリティ、ゲーム、ヘルスケアなどジャンルも幅広くなっている。特に流行っているのはFinTech。イスタンブールは銀行が多いため、FinTechを用いたソリューションを活用しやすいのだとか。

Eコマース市場には若年人口層の厚みやロジスティクス、決済手段の3つが必要な要素と言われているが、トルコは新興国の中では珍しくそれらがすべて揃っているという。人口の9割がインターネット、7割がモバイルでインターネットを利用し、国内の物流は国の端であっても3日もあれば物が届くという環境にある。

2014年PayPalが発表した、1年間のスマホ経由でのショッピング実態調査によると、トルコやUAE、中国といった国が上位を占めた。高齢化が進んでおらず、スマホネイティブな新興国に分がある結果としながら、クレジットカードの普及率81%も手伝い、同国でEコマースが注目を浴びているのは納得と言えるだろう。

またトルコ国内だけでなく、欧米でのトルコ系移民の存在感も大きいという。欧米市場を狙ったサービスのひとつ、オンライン学習サービスのUdemyはシリコンバレー発のサービスだが、ファウンダーはトルコ人だ。

政府の支援も充実してきており、証券取引所にディールルームを作ったり、テック系ベンチャー創出の相談窓口を設けたりしている。賛否両論あるが、若者のシリコンバレー進出を推奨し、シリコンバレーにもトルコ政府が支援する拠点を設けているという。

未完成だからこそ注目!黒海スタートアップ市場

日本と比較すると、トルコへの投資金額は10分の1~20分の1程度と決して多くはないが、M&Aは700億円規模と大型なものが多い。この点について廣瀬氏は、リーマンショック前の2001年に経済危機が起きたことによる構造改革での経済成長を挙げた。加えて、国内のスタートアップエコシステムが未成熟でもeBay、デリバリーヒーロー、アリババ等、全体的に海外からの投資が多いことも背景にあるとした。

ただし、トルコのエコシステムは必ずしもグローバルなスタートアップ企業に優しいわけではないという。海外の企業となるとローカライズの規制があり、満足に活動できず撤退せざるを得ないというケースもあり得るのだ。

例えば、前述したPayPalは2016年にライセンス停止処分を受け、トルコから撤退した。Uberはタクシー業界の圧力を受け利用禁止に。今でもサービスは続いているが、代わりにJapanTaxiのようなBitaxiを国内スタートアップが提供開始しているという。トルコはプラットフォーマーを排除する姿勢を貫いているわけではない。税制面やデータのローカライズ面においての自由度はアメリカほど高くないが、EU加盟を目指しているだけあり、EUの水準と同等のルールを特にFinTech界隈で設けているそうだ。

GoogleやFacebookのような巨大プラットフォームも基本的に利用可能だ。海外を経由して注文しなくてはならなかったAmazonも2018年よりトルコ国内でサービスを開始した。Wikipedia等の閲覧規制問題があるとはいえ、海外のサービスで使えないのはPayPalくらいだという。海外のジャイアントの参入が防がれることで独自のスタートアップが深化する余地もありそうだ。

こうした状況から海外からの投資を元手にEXITを果たした第一、第二世代のスタートアップが投資サイドに回り始めてもいるとし、徐々にトルコ国内のスタートアップエコシステムが成長してきていることを語ってくれた。

汚職イメージをブロックチェーンで払拭・ジョージア

ジョージアの位置するコーカサス、またカスピ海を挟んで東側の中央アジア地域は、ブロックチェーンが盛んだという。最近では、ウズベキスタンでは政府システムをブロックチェーンに統合することが決定し、キルギスでも特許記録をブロックチェーンで記録するという発表があった。

廣瀬氏曰く、ジョージアでも政府の公共サービスでの活用を試みており、街中のショッピングセンターには仮想通貨のATMが設置されているという。内戦や革命の際、土地の登記が無茶苦茶になった経緯もあり、ブロックチェーンの透明性、安全性への理解が得やすかったという背景もある。透明性を重視していることの象徴として、廣瀬氏は市民ホールもガラス張りのオープンな環境にしていることも教えてくれた。同時に、マイニングに必要な電力の料金が安いことがブロックチェーン関連の企業を引き付けている。

投資需要としてはトルコの半分程度ということでまだまだ発展段階にあるが、これからのトレンドであるブロックチェーンを実装している点などにポテンシャルを持つ。

世界有数のエンジニア大国・ウクライナ

元々はソ連の航空宇宙系などのエンジニアを多く抱えており、技術大国とも呼べるウクライナ。ヨーロッパやイスラエルのIT関連のアウトソーシングを引き受け、そこからスタートアップに転換したという背景もあるため、優秀なスタートアップを数多く輩出している。

例えばWhatsAppやPayPalの共同創業者はウクライナ人であったり、Snapchatに買収されたセルフィー用フィルターを開発したLookseryもウクライナ出身のチームだ。IT以外の産業からIT部門へエンジニアが流れた結果、優秀なエンジニアに恵まれた国となった。

サムスンのR&Dセンターもウクライナに拠点を設け、革命の混乱の最中にも維持することを決断した。これはウクライナ人の優秀さから撤退するに撤退できなかったという逸話があるほど。現に、サムスンの社内で行われるコンペティションでは、ウクライナ人とインド人が必ずと言っていいほど上位に残るのだという。

最近では、スタートアップと言えば、イスラエルというのが定着した感があるが、イスラエル国内は実際にはIT技術者のヒトで不足が生じており、商売上手なイスラエル人に対し、ウクライナ人は技術力で勝るため、イスラエルのスタートアップがウクライナに外注するというケースも少なくないのだとか。

IT教育・優遇政策でエコシステムを育成―アルメニア

ウクライナと共に技術力が高かったとされるアルメニア。そのポテンシャルは、かつてソ連のシリコンバレーと呼ばれるほどだという。しかしまだまだ投資額もスタートアップの数も少なく、発展途上の段階にある。

そんなアルメニアの強みは教育基盤の強固さ。小学生~高校生を対象にプログラミング、デザインといったIT教育をほぼ無料で行うというTUMOセンターは最たる例だ。センター内にはMacが揃い、Adobeをはじめとしたソフトウェアが一通り使える。映画上映会のような形でアウトプットの機会も創出している。子供にとっては楽しみながらIT教育を受けることができるというこの上ない場所になっているのだ。

まだまだ輩出数は少ないが、ITスタートアップに対する投資環境も海外に離散するディアスポラの支援もあり整いつつあり、全世界5億DLを誇る画像編集アプリPicsArtはアルメニア発。同国のIT企業・MAIAが運営する、ブロックチェーンを用いたメディアとして期待されているPUBLIQもその1つ。今後もさらに有望なスタートアップが増えることが予想される。

「(サウジアラビアやトルコリラの暴落など)地政学的・経済的なリスクはあるものの、逆境の時こそスタートアップは生まれるのではないでしょうか」(廣瀬氏)

関係は良好でも、日本企業が黒海周辺への投資に二の足を踏む理由

廣瀬氏によるこれまで見知ったことのない内容の解説にオーディエンスから質問が多く飛び交った。

日本との関係を聞かれると、「今は、インターネットの普及もあり、アニメや技術のイメージが先行しており、いずれの国も良好」と廣瀬氏。日本企業に投資をして欲しいという意欲に変わりはないものの、トルコ以外のアルメニア、ジョージア、ウクライナに関しては、日本に対し売るものがあまりないという課題があるという。

日本企業の黒海周辺への進出具合にも偏りがある。モノづくり系企業や商社を中心にトルコをヨーロッパの生産拠点として近隣諸国、中央アジアやアフリカの市場を狙う一方、ジョージアやアルメニアにはそれがほとんど見られない。ウクライナにはかろうじて一部メーカーが進出しているものの、販売系の企業に限られているという。背景に、トルコ以外の黒海周辺の地域はロシアの影響が大きく、領土の主張が入り乱れている点、政治や民族等複雑でややこしい部分が少なからず影響しているようだ。

「スタートアップエコシステムが未完成のTier2、Tier3ともいえる国や地域に目を向けていき、シードから育てていくという意識が必要になってくるのではないでしょうか」とイベントを締めくくった。