ケンブリッジ大学NanoDTCで生み出される学際的かつ社会実装志向性の高い研究の数々

addlight journal 編集部  addlight journal 編集部

9月19日、Inspired.Lab(東京・大手町)にてイベント「英ケンブリッジ大学 PhD 大学院生の皆さんの研究紹介 & ネットワーキング」が開催された。

英ケンブリッジ大学のNanoDTC(NanoDTC, University of Cambridge)に所属する博士課程の大学院生約20人が来日し、口頭やポスターでの発表を通じて自身の研究内容を紹介した。イベントでは立食形式のネットワーキングセッションも催され、NanoDTCの学生達は、研究者、スタートアップや大手企業の関係者、学生らとの親睦を図った。

本イベントの主催は、TomyK Ltd.三菱地所株式会社。本稿ではイベントの模様を紹介するとともに、TomyK 代表・鎌田富久氏へのインタビューを掲載する。

10年間で誕生したディープテック・スタートアップは10社以上

NanoDTCは、ケンブリッジ大学において10年前に始まったナノテクノロジー、ナノサイエンス分野の研究に取り組むプログラムだ。1年間のMRes(Master of Research, 修士号に相当)と3年間のPhD(Doctor of Philosophy, 博士号に相当)の課程からなり、学生は1年目に科学やビジネス、サイエンスコミュニケーションの素養を深めた後、2年目から独自の研究テーマに取り組んでいく。これまでの卒業生は、49%が製造業や自身のスタートアップに、31%がアカデミアに、残りは他のセクターへと進んでいるそうだ。

卒業生の進路について説明するNanoDTCの学生代表・Ryan氏

卒業生の進路について説明するNanoDTCの学生代表・Ryan氏

NanoDTCの特徴は大きく二つある。

一つ目は「学際性」の高さだ。NanoDTCで取り組まれている研究は、物理学、化学、 材料科学、生物学、工学といった広範な分野にまたがり、世界中の異なる専門分野を持つ学生達がこれらの研究に取り組んでいる。

もう一つの特徴が「社会実装」を目指す姿勢だ。NanoDTCは、産業界やスタートアップとの強力な連携を活かして研究の社会実装を目指す「起業家精神」を重要視している。これは、誕生してまだ10年目のプログラムであるにも関わらず、既に10社以上ものNanoDTC発スタートアップが生まれているという結果として表れている。

NanoDTC発スタートアップ一覧

NanoDTCにおける 学際的かつ社会実装志向性の高い研究の数々

今回のイベントは、このNanoDTCの学生たちがPh.D. 終了後のキャリアの選択肢を広げるために企画された1週間ほどの日本ツアーの一環として実施されたものだ。

スタートアップデーとして位置づけられていたこの日、一同は日本のディープテック・スタートアップであるエレファンテック株式会社株式会社アクセルスペースを訪問したのち、Inspired.LabにてNanoDTCにおける多様な研究を披露した。

会場の様子

会場の様子

その一部を紹介したい。

● Waste as a feedstock for solar-driven hydrogen generation
プラスチック廃棄物は貴重な原料であるが、埋め立てごみや環境汚染物質として大半は無駄となっている。太陽光のエネルギーを利用してプラスチックと水を、水素と有機化合物に変化させる触媒反応のPhotoreformingを活用することで、この問題の解決に挑戦しているそうだ。

● Light-induced patterning of structural colour
現在使用されている染料とプラスチックではなく、サスティナブルな素材を用いてカラフルな素材を作ろうとする研究。すでにセルロース(植物の細胞壁の主成分である多糖類)を用いたカラフルなフィルムの開発などに成功しているそうだ。

● The role of viscoelasticity in axon guidance during development
発生過程において、細胞は目から脳へと伸長するが、それらの細胞が如何に脳の適切な箇所に誘導されるかは明らかになっていない。脳組織が如何にそれらの細胞を導いているのかを原子間力顕微鏡と光学技術によって明らかにしようとしているそうだ。

学際的研究やスタートアップを推進するカルチャー

発表の中で、特に筆者が気になった研究はRoger Rubio Sanchez氏による「Coupling synthetic amphiphilic DNA constructs to lipid phase separation in artificial cells」であった。

Roger氏が取り組んでいるのは、生体模倣(biomimicry)のツールとしての 「外部環境を感知する人工細胞」の開発だ。

ボトムアップ合成生物学では、DNAやタンパク質のような生体物質を半透膜で閉じ込めることによる人工細胞の創出が試みられている。この人工細胞作製におけるひとつの課題は、人工細胞間のコミュニケーションを可能にする一般的な方法が確立されていないことだ。

Roger氏はこれを解決するため、DNA分子が挿入された脂質二重層に囲まれた人工細胞を用いて、外部環境を感知できる人工細胞の創出を試みている。

まず、人工細胞の膜 (脂質二重層) は、複数の種類の脂質を含むように作製することができる。そして、それらの種類や比率を変えることで、膜の物理的な特性を調整することが可能だ。

また、DNAはワトソン・クリック型塩基対を形成し、自発的に二重らせん型の構造を形成する特徴をもつ。そして、DNAはその塩基配列の意図的な設計が容易であり、分子末端の修飾も可能である。

そこで、Roger氏は、脂質二重層に関する技術とDNAに関する技術を組み合わせて、外部環境の感知が可能な新たな人工細胞の作製に挑戦しているようだ。

本研究がどのような形で社会実装できそうか尋ねてみたところ、「ドラッグデリバリーに活かせる可能性があります」とRoger氏。外部環境を感知できる人工細胞の作製に成功すれば、ある特定の条件下のみで内容物を放出させる人工細胞を作ることも可能になるだろう。そうすれば、人工細胞に薬を運ばせ、がん細胞の近くでのみ薬を放出させるといったこともできるかもしれない。これは、薬の効果の向上や、副作用の低減に繋がることが期待される。

Roger Rubio Sanchez氏

Roger Rubio Sanchez氏Roger氏への一問一答は以下の通り。

―― 卒業後は、アカデミアか産業界のどちらに行きたいですか?
アカデミアだね。今後、気持ちが変わるかもしれないけど、今はとてもアカデミアをエンジョイできているから、このままアカデミアに進みたいな。

―― 今日訪問されたスタートアップについてどのような感想を抱きましたか?
とても素晴らしかった。アカデミアにいると、論文書きに追われて、研究をなにに応用できるか忘れてしまうことがある。実際にどう応用されるのかを見られたのは良かったよ。

―― イギリスの科学環境について、日本と比較したときの長所と短所を教えてください。
僕はメキシコからケンブリッジ大学に来たけど、イギリスの科学環境にはとても満足しているよ。(ケンブリッジ大学の)長所は、学際的研究を推進しているところと、スタートアップを推進するカルチャー。Cambridge Enterpriseを通じた支援も充実しているね。
短所は、アカデミアのポストが(決して少なくはないけど)十分ではないこと。ポジションがなくて、研究を継続できない優秀な人材がいるのは勿体ないと思うよ。

日本で博士号取得者が減っているのは問題

本イベントの主催者の一人であるTomyK代表・鎌田富久氏にイベントの狙いや背景を伺った。同氏はエンジェル投資家としてロボット、人工知能、人間拡張、IoT、ゲノム、医療、宇宙などの領域のテクノロジー・スタートアップの支援に取り組んでいる。

―― 本イベントを開催されることになったきっかけや背景について教えてください。
NanoDTCの学生達は、Ph.D.取得後のキャリアの選択肢や可能性を探るためのツアーをこれまでも学生達で企画して実施してきたそうです。そして、そのツアー先として今回は初めて日本が選ばれました。

訪問先として最初に候補にあがったのが、素材の研究をしている人が多いNanoDTCと親和性の高いテーマに取り組んでいる大学発スタートアップであるエレファンテック株式会社だったそうです。

TomyK代表・鎌田富久氏

TomyK Ltd. 代表・鎌田富久氏

初めに、NanoDTCの学生達から杉本さん(エレファンテック株式会社副社長・杉本雅明氏)に連絡がありました。その後、杉本さんから僕に連絡があって(鎌田氏はエレファンテック株式会社の最初の投資家であり、社外取締役も務められている)、「あ、これは面白そうだ」と思いましたね。

Inspired.Labを開設した堺さん(三菱地所株式会社 xTECH営業部兼ビル営業部 統括・堺美夫氏)からの後押しもあって、ツアーの中の一日を使ってスタートアップツアーとInspired.Labでのネットワークイベントを開催することになりました。

―― 本イベントで意図されていたことや、効果として期待されていたことを教えてください。
日本が初めての人や日本で働きたい人が多いみたいだったので、NanoDTCの学生達には今回のイベントで知り合いを増やしてもらって、次に繋げていってもらえると嬉しいと思っていました。

また、ケンブリッジ大学のPh.Dの学生が20人もまとまって来ることはなかなかないので、日本の研究者や学生にも興味を持ってもらって、NanoDTCの学生達との交流を深めてくれると良いなと思っていました。

―― それらの期待に対して、どの程度満足のいく結果でしたでしょうか?
NanoDTCの学生達は、とても満足してくれたみたいですね。日本の参加者の方々の反応も良かったように思います。
実は今、NanoDTCの学生を日本のスタートアップに送り込んだり、逆に日本の学生をNanoDTCに送り込んでみたりするのはどうかなという話が出てきています。実現できればとても面白いですね。

―― NanoDTCについて、特に魅力と思われるところを教えてください。
20人の研究発表を聞いて、日本の博士の学生よりも楽しんで研究できているように感じました。それに今回のツアーは大学主導のイベントではなく、学生達だけで企画して実施されたものでした。こういったものも日本では見ないですよね。

また、NanoDTCで取り組まれている研究の多くが基礎研究寄りのものであるにも関わらず、プログラムが誕生して10年で既に10社以上のスタートアップが生まれています。とても素晴らしいことだと思います。

―― 英国と比較した際の、日本のスタートアップエコシステムやアカデミアの強みや弱み、課題等についてご意見をお伺いしたいです。
NanoDTCの学生たちは、生き生きと研究に取り組み、それを専門外の人にも説明していました。また社会実装にも興味を持っていました。この姿勢は日本の学生にも必要だと思いました。

また、博士号取得者が日本で減っていることは問題です。学生達に「博士取ることや最先端の研究をすることは魅力的で、社会の役に立てる可能性もある」と思わせないといけないです。そのためには、大学はもっと努力しないといけないですし、大手企業やスタートアップが博士を活用するエコシステムも必要です。

―― なぜ日本の博士号取得者は減っているのでしょうか?
博士の就職口があまりないから、学生は博士課程に進学しないのでしょう。アカデミアは上が詰まっていてポストが空いていませんし、大手企業は博士よりも修士を採りたがる傾向があります。ここに「起業」という道があれば良いと思います。それをみんなが応援すべきでしょう。

優れた研究をする人は、課題を設定してそれを解決する能力が高く、応用が効く人材だと思います。
「博士課程に行くといろんな可能性が生まれるし、大手企業も高給でとってくれる」というような状況になればみんな行くようになるでしょうね。